5月 052012
 

今回、保育学会で発表するにあたり、私たちは「ポスター発表」という形式を選びました。

ポスター発表は、研究内容を大判の上にまとめたものをはり出し、その前に発表者が立ち、来場者と個別に討議できる発表形式です。

その場に立ち寄ってくださった方々と時間をとって対話ができることに魅力に感じ、相手の方の現場の話などもお聞きしながら、共に考え合う場にすることを目ざしました。

その場で何かが生まれ、次につながることを願い、当日を迎えました。

 

保育学会での発表を終えて

愛育養護学校 教諭  湯浅マッケイン周子
( 「愛育養護学校だより」2012年7月号より )

■愛育養護学校と保育■

  愛育養護学校は、学校教育の現場ですが、実践について語るとき、「教育」ではなく「保育」という言葉を日常的に使います。愛育の実践は大人が子どもに教え導くスタイルではなく、子どもと共にあって肩を並べて歩く、支えて歩くようなイメージだと思います。完全に統一された定義を持っているわけではありません。皆がそれぞれに考え続けている命題のひとつだと思います。普段の学校だよりでは、多くの人に読みやすい文章を心がけて「保育」という言葉はあまり使っていませんが、ここでは、「教育」ではなく「保育」と使って生きたいと思います。

この数年、職員の研究係を中心に、『保育者の地平』(※1)の読書会や実習生の卒論研究会、各自の問題意識に合わせたテーマの研究会など、内部での研究を模索してきました。また、愛育幼稚園やナーサリーの先生方と共通のテーマで語る会を設ける試みもしています。徐々に外とのつながりも持ちたいと思いながら、内部の充実を十分にしてからという思いもあり、なかなかタイミングをつかめずにいました。

そんな折、佐治由美子さん(※1)から次の保育学会で愛育養護学校として発表をしてみませんかとお声をかけていただきました。ここ数年は、愛育養護学校として研究発表をするということはほとんどなく、今の愛育養護学校の始めの一歩を踏み出してみようという気持ちで発表に向けてスタートすることにしました。

何回も話し合い、今回の発表テーマは「実習生と教師の学び合い-Children Firstの視点から」に決定しました。冒頭に、完全に統一された概念の下動いているわけではないと書きましたが、子どもを中心として存在する大人(実習生、スタッフなど)の全てが影響し合い、育ち合っていることや、保育を支える日々のミーティングの大切さは共通して感じ、考えているところです。世界各国で使われているChildren Firstという言葉がありますが、本当の意味で子どもが中心ということはどういことなのか、私たちにとって当たり前の実践に潜んでいるものは何なのか見つめなおし、言葉で表現する作業に取り組みました。研究を進める過程は、自分の実習生時代の子どもたちと出会い、スタッフや他の実習生との出会いを振り返り、また、その一つ一つの経験が自分の保育観にどういった影響を及ぼしているか、改めて考えるチャンスになりました。

■わたしの実習体験から■

ここで、わたしの保育者としての原体験とも言える、愛育での実習時代について振り返りたいと思います。わたしは、大学3年生の20歳の4月から足掛け3年間、愛育養護学校での実習を経験しました。実習の初期にMさんという子どもと出会い、小さな出来事の一つ一つから、彼女との関係の深まりが感じられ、そういう感覚をもっと味わいたい、どうしてそうなっていけるのか知りたい、ここにもっと来てみたいと思っていました。愛育に通うことが、生活の一部になっていて、大学生活と同じくらい、もしかしたらそれより大切に思っていたかも知れません。じっくり本を読んだり絵を描いたり、有栖川公園にお弁当持って通ったり、プールに行ったりといろいろなことをしました。印象に残っているのは、何をしたということより関係が深まっていく感覚です。身体を寄せてきてくれるようになった、名前を呼んでくれるようになった、一つ一つが嬉しくて、感動的でした。わたしにとってMさんは、人間としてのわたしを信じて大好きでいてくれる存在で、わたしがMさんを支えているというより、Mさんがわたしを支えてくれている、振り返ってみるとそんな時間だったようにも感じます。深い濃い時間を過ごすからこそ、自分の存在を根底から揺さぶられるような大きな葛藤を抱えることもありました。しかしそれも、子どもとの関係の深まりと、愛育で見守ってくれていた周囲の存在や、愛育以外の自分の生活によって乗り越えていけたのだと思います。子どもたちと保護者の方々、そしてスタッフから暖かいまなざしで見守られ、本当に恵まれていました。

津守先生は『私が保育学を志した頃』の中に、「人間の心という未知なる世界が広がっており、私はそれにふれて、自分にとっての意味を見出すのである。子どもの行動にふれて、それは私にとって意味あるものとなる。私はそのことの意味を何度も発見し直し、子どものひとつの行動の分かり方が、自分にとってより根源的本質的なものにふれ、かつ多面的になっていくのである。」と書いています。(※3)

愛育での実習生活は、まさにこのような精神作業の積み重ねでした。そして、年単位で子どもの変化を追え、じっくり腰をすえて関係を築けることは、ほんとうに自分の糧になりました。津守先生は普段ミーティングのなどでも子どもについて存在感、能動性、相互性、自我の観点から語ることが多くあります。今考えてみると、わたしが実習生として子どもと出会い、全力で向き合っていた時間もまた、自分自身の存在感、能動性、相互性、自我を見つめなおし、再構築していく時間だったのだと思います。

職員になってから、何人もの実習生と出会いました。自分が実習生時代に大切にされたように、実習生を大切にできているのか、自問自答の日々です。子ども一人ひりの存在を尊重し、大切に考えていく場を作っていくには、そこにいる大人も含めた全ての人たちが大切にされている、尊重されているという実感を持てる場にすることが必要だという思いを、この研究を通じてさらに強めました。

■発表準備のどたばた■

津守先生にこの発表をすると報告をしたとき、「研究は、最後には一人でやるものです」と言われました。一人ひとりの考えをすり合わせ、ひとつのテーマに向けて考えをまとめる作業は、楽しくもありますが、時に衝突もあり、お互いの立場やや考えの違いが浮き彫りになることもありました。それぞれの現場や研究についての強い思いを改めて知り、認め合う時間だったように思います。

普段の保育に加えて締め切りのある研究を進めるということは想像以上に大変で、ミーティング後にデータや原稿に向かってもなかなか頭が切り替わらないこともありました。しかし、研究について考えることは普段の保育と切っても切れない関係があり、だんだん考えがまとまってくると、日々の保育に向かう自分にいい循環が生まれてくるような実感が持てるようになってきました。

■当日のこと、そして今後■

当日、緊張してポスターを貼っていると、元職員や関係者といった懐かしい顔ぶれが次々とわたしたちのブースに来てくださり、勇気をもらいました。より多くの人と対話できるようにと、ポスター発表の形式をとることにしたのですが、これがよかったと思います。発表としてはまだまだ詰めきれていない部分もありましたが、暖かい励ましや鋭いご指摘をいただき、たいへん勉強になりました。それと共に、これからの課題もたくさん見えてきました。

今回の発表は、研究に関係したそれぞれにとって大きな意味を残したと思います。形になると綺麗過ぎる気もして、現場の泥臭さや混沌とした中からいろいろなものが生まれてくる幹事は、どうしたら織り込めるのか、愛育らしさを伝えるにはどうすればよいのか、考えていきたいところです。これからも少しずつでも考えをまとめ、発表の機会を得ていければと思います。

(※1)津守眞 『保育者の地平・・私的体験から普遍に向けて』 1997年 ミネルヴァ書房

(※2)佐治さんは、家庭指導グループ(社会福祉法人母子愛育会にあった通園グループ)の元職員で、本校に長い間深く関わり、本年度からは本校研究員として研究グループをを支えてくださっています。また、お茶の水女子大学講師を経て、本年度より、聖学院大学で講師をされています。

(※3)津守真 『私が保育学を志した頃』 2012年 ななみ書房 313ページ