12月 011999
 

翻訳:Daniel Walsh’s Paper for Aiiku School          99/11/02
訳者:Riyo Kadota (University of Illinois at Urbana-Champaign)
ダニエル・ウォルシュ (イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 幼児教育科 助教授)

1998年5月から1999年1月まで、兵庫教育大学学校教育研究センターのフェローシップを受けて、私は家族と共に兵庫県社町で過ごしました。その間、社町の幼稚園や保育園を中心に、日本各地で調査研究を行いました。愛育学園にも二度お邪魔いたしました。愛育で津守先生を初め、保護者や先生と直接お話しできたことは、私にとって名誉なことでありましたし、今も忘れがたい貴重な経験となって私の研究活動に生かされています。
私の日本文化や日本の幼児教育における経験は、まだまだ浅く、未熟ではありますが、日米の幼児教育・私の子ども達の日本における学校経験・日本幼児教育の行く末の3点について、お話ししたいと思います。

日米の幼児教育: 日本は、子どもをとても大切にし、子どもとの心の交流を重視する文化です。(1)子どもは産まれながらにして善であり、豊かな感性を持っている (2)全ての子どもは平等である、そして、(3)幼少期の経験が後の人生に大きな影響をもたらす(三つ子の魂百まで)。この3つの主なる理由から、私はそれ(子どもに対する畏敬の念)を感じ取っています。
日米の幼児教育における違いは、各々の文化が信じる子供観によって明確に理解することが出来ます。アメリカ文化も確かに子どもを尊重しますが、それはピューリタン(清教徒)・プロテスタント的なキリスト教の中にある”原罪”が核となっています。私達は、子どもが産まれながらにして善く、感性に富んだ生き物であるとは思っていません。子どもの性質は外から形成され、研ぎすまされていくものだと思っています。私達は、知育やテスト結果を重視し、例えば、平均より上・下といったように、子どもを平等に見ることがありません。アメリカ文化では、早い時期の経験を重視しますが、それは、フレーベルの理論を強く受けたもので、後生の障害(問題)にこそはなれ、助けになるものとの見方はしません。
そのようなアメリカ文化と比較してみると、日本の伝統的な子供観が残っている幼児教育機関では、日本の子どもは大人の介入や監視から解き放たれて、より自由に、より自主性をもって責任感を培っているように思えます。また、日本の子どもが同等に扱われる集団生活の中に身を置くのに対して、アメリカの子どもは知的であるか、または障害があるかで分別され、レッテルを貼られます。さらに、日本の幼児教育機関は、子どもが走り、叫び、取っ組み合いをしたり、ものによじ登ったり、と非常に賑やかで、日本人の信じるよき子どもの姿がそこにはあります。津守先生は、私に、伝統的な日本の育児観・子供観を理解することがとても大切であると教えて下さいました。まさしく、その通りだと痛感しています。近年の大都市近郊では、子どもにそのような余地を与えない、型にはまった(まるで、アメリカのような)私立の幼児教育機関があるようですが、それらは日本の最も大切な伝統から離れていってしまっているようなものです。

私の子ども達の日本における学校経験: 私の子ども達は(息子は幼稚園で娘は小学校6年生)社町の学校が本当に大好きでした。素晴らしい学校に通い、よい先生方に出会いました。息子は、日本語を理解するようになり、こちらに戻ってきてからは、どうすれば日本に戻ることが出来るかを毎日思案しています。先週も、「次に日本に行くときは、3年にしよう!!」と私に示唆したほどです。何が一体彼らをそれほどまでに学校に夢中にさせたのでしょう?

その答えの殆どは、先述した自由・自主性・”集団生活の醍醐味”、そして身体活動の重視にあると思います。運動会は、娘の生涯で最も輝いたページの一つとして一生心に残り続けることでしょう。アメリカに戻ってきた時、娘も息子もこちらの学校生活になじめず大変苦労をいたしました。

翻訳:Daniel Walsh’s Paper for Aiiku School          99/11/02
訳者:Riyo Kadota (University of Illinois at Urbana-Champaign)
ダニエル・ウォルシュ
(イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 幼児教育科 助教授)

日本幼児教育の行く末: 日本の先生方とお話した中で、2つのことが私の頭をもたげています。一つは、日本の先生方は、アメリカの学校教育について、余りにも寛容で、よく偏った称賛ばかりをする点で、これは、他の人のことをよく言い、自分のことを悪く言う、日本の文化習慣に依るものとは思いますが、昔、中国がそうであったように、アメリカが称賛の対象になっています。アメリカの幼児教育は、枠にはまらない、自由で創造性に富んだ楽園であるかのように思われているようですが、実際はそうではありません。確かに、アメリカの学校制度から習うことはあると思います(大学教育が私の脳裏を一番先に横切りました)。しかし、それは幼児教育においては正しいとは思えません。日本の幼児教育者がアメリカの幼児教育を学ぶ以上に、アメリカの幼児教育者が、もっと日本の幼児教育から学ぶべきなのです。

私が懸念している2つめは、日本がポスト工業化・ポストモダンの時代に移行するにつれ、日本の幼児教育機関が、子どもを尊重し、子どもとの心の交流を重視するという、最も大切な伝統文化を失ってしまうのではないかということです。これは、非常に大きな損失です。世界が益々西洋化・アメリカ化してしまうと、世界中の文化が伝統を失い始め、ついには、自分達が何ものであるのかという文化規範そのものまで失うことになるのです。

日本が伝統的に守ってきた、子どもをとても大切にし、子どもとの心の交流を重視する文化は、とても希少で貴重な財産です。皆さんは、もっとこのことを価値のあるものとして守っていかなければならないと思います。私達の、特に子ども達の生きている世界は、益々難しく複雑になってきています。伝統的に守られた日本の幼児教育は、子どもの成長のために必要な美しい環境を提供している貴重な場所です。そこは、外界で起こる好ましくない環境から子ども達を守る場所でもあります。どうか、その素晴らしい子どもの世界を壊さず、守り通していって下さい。