7月 012008
 

    自分が自分でいられることを大切に         愛育養護学校 教諭  玉木 喜美子

自分が自分でいられる安心感

毎朝、「今日はどんな一日になるだろう」と期待をもって子どもたちを待ちます。幼児の保育は無条件に楽しいものです。子どもたちはどんな身体的状況にあっても、若葉のように瑞々しい生命力に溢れています。まだ大人の支えを必要とするその子どもたちに触れ、子どもたちが表現する心の世界を感じとり寄り添い同じ時を過ごすことは、とても幸せなことです。あえて言葉にするならば“自分が自分のままでいられる安心感”でしょうか。初めて訪れた場所であるにも拘わらず、この時に感じた何も取り繕ったりすることなく“自分が自分でいられる”ということは、私にとって保育をするときになによりも大切にしたいことのひとつになっています。

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今年度の幼稚部クラス
この春、幼稚部は9名の子どもたちを迎えました。昨年度は7名の在籍者でしたので、2名も増えたことになり、とても嬉しく思っています。年長児が5名、年中児が3名、年少児が1名です。そのうち、昨年度からの継続の子どもが4名、新しく在籍した子どもが5名、男女比では男児3名、女児6名の構成となっています。保育スタッフも若く新しい方々が加わり、活気のある新年度がスタートしました。

子どもたち一人ひとりの様子は、様々です。ここ数年、医療機関などの紹介でこの学校を選ばれる、医療的なケアのニーズの高い子どもたちも増えてきています。

幼稚部に子どもを迎えるにあたって、何よりも大切にしていることは、どの子どもにとっても、この学校が“安心して自分を表現できる場所になる”ということです。子どもがありのままの自分を肯定的に受け入れられていると心底感じられるよう、保育者との信頼関係を育てるところから始めています。また、子どもたちの一番の支え手である保護者の方にとっても安心して子どもを託せる場でありたいと思います。この学校は送迎バスのサービスなどもなく、幼い子どもを連れての送迎がどれほど骨の折れることか日々頭が下がります。せめて学校に着いたときにはほっと肩の力が抜けるような場になれたらと思いますし、子育てをする中で直面している、様々な出来事や保育者の対応についての疑問なども対等な立場で率直に話し合い、子どもの成長をともに喜ぶことができるような関係に育ち合っていきたいと願っています。この一年、子どもたち一人ひとりがどんな個性を発揮してくれるのか楽しみです。

この春卒業して二人の子どもについて

3月、2名の年長の男の子たちが幼稚部を卒業しました。二人とも月1回、水曜日に設けている、乳幼児のための相談グループの時から愛育に来ている子どもたちでした。約3年間、彼らの成長を傍らで見続けることができました。

S君が初めて相談にきた時は、人と対面することがとても苦手で、人との距離感にとても敏感な子どもであることが感じられました。その頃、S君が好んでいた遊びといえば、土の塊を手に取って、それを人のいない方に向かって高く遠くに投げ、その土の塊が地面に落ちてこなごなに砕け散るのを見て喜ぶというものでした。また、常に手には何かしらの長い棒を持ち、それが木の枝であったり、太鼓のバチであったりしました。友達や保育者との追いかけっこの遊びが始まるのですが、振り回す棒の長さの分だけ、他の人とS君の間には距離があくことになります。身体に触れさせることも嫌がりました。
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アートティーチャーによる造形の場など、あらかじめ大人によって設定された場に誘われることはすべて拒否しました。自分の意志より先に「何かをやらされる」という気配に敏感で、誰も無理に誘おうなどと思ってもいないのに、ホールに大きな紙や絵の具が準備された光景を目にしただけで、ぴったりと扉を閉めて誘われないようにして自分を守りました。庭とホールを行ったり来たりしながら活発に遊んでいる時でも、庭とホールの境目では一瞬動きを止めて律儀に上履きと外履きを履き替え、幼稚園での守るべき共通のルール等が割合に厳しく躾けられている様子が伺えました。心が動いて何かやりたいことが閃いたときでも、大人の顔色を見ながらちょっと首をすくめて「これ、やっていい?」と確認し、自信のなさをのぞかせました。
S君は、普通幼稚園にも通っていてそこでの卒園前の学習発表会の時には、友達と一緒に会の始まりのあいさつをし、チェッカーズの曲に合わせて堂々とダンスを披露している場面の動画をお父様から見せていただきました。あんなにも人の視線に敏感だったS君が堂々と大勢の人の視線を引き受けて踊っている姿に頼もしさを感じ、とても嬉しく思いました。
この4月から地域の特別支援学級に進学しました。先日、担任の先生が引継ぎのために愛育に足を運んでくださいました。先生はS君の様子がとても安定していて、同じクラスの先輩たちと一緒に過ごすことを楽しみに通ってきている様子を話して下さいました。温かい視線が注がれる中で学校生活が始まったことに、とても安心しました。

もう一人の幼稚部卒業生のA君が初めて相談にきた時には、前髪が顔全体を覆っていて、目線が伏し目がちでその表情が見えにくく、着ていたピンクの服装から女の子かと思われるような様子でした。全身からはぴりぴりとした緊張感が漂い、感受性が鋭いだけに日常生活の様々な場面で生きにくさがあるように思われました。保育室の棚や籠の中に納められていた玩具をことごとく投げ飛ばし、それらが床一面に散らばりました。注意力が散漫でひとつの遊びをじっくりと続けることが難しく、まとまりが感じられず、動きは激しいのですが身体の中心が定まらずに体幹が揺れているような状態でした。

まだ生後一年にも満たない弟とA君の二人を連れて学校まで辿り着いたお母様からは、子育ての苦労がひしひしと伝わってくるようでした。街を歩いていても一見特別な配慮を必要とする子どもには見えないであろうA君の様子を、社会で出会う人々の目には親が躾もせずにわがままを許しているというように映ったでしょう。親子共に正しく理解されずに冷たい視線を向けられてきた痛みが伝わってきました。

A君の荒々しい行為も周囲の批判や無理解に対する抗議の表現のように感じられました。この学校ではA君がありのままの自分を肯定的に受け入れられ、大切にされたという実感をもてるようにということを大事にしようと考えました。「やめて」、「だめ」、「ちがう」といった否定的な言葉に対して特に敏感で、物が宙を舞うことも日常茶飯事でした。学校は子どもたちが共に生きる場です。物が他の子どもに当たって怪我をするようなことは避けなければなりませんし、他の子どもの生活を脅かすことのないよう充分な配慮が必要です。

時々、いけないことはいけないとなぜ厳しく叱らないのか、という質問を受けることがありますが、今、叱ることが子どもの心の成長につながるかどうかの見極めが大切だと思います。特に幼児期の子どもにとって叱られることは、自分という存在そのものを否定されたように感じ萎縮して、その子らしく生きることを妨げてしまうことにつながる怖れがあります。物が飛ぶような緊迫した場面では保育者も緊張しますが、緊張している自分を意識しつつユーモアをもって緊張を緩める心の努力をしながら、そういった場面に対応しています。ネガティブな緊張は人から人へとマイナスのエネルギーの連鎖を生むと考えます。場の緊張を高めては、かえって事故につながる可能性も大きくなります。子どもの心にもその場の状況を感じ取るだけの余裕がなくては、形だけ止められたことになり、本当に子どもに伝えたいことが伝わらないことになります。自分の行為の結果を引き受けることのできる心の豊な大人へと育っていってほしいという願いをもちつつ、その時は荒々しい方法でしか表現しようがない時期の子どもと向き合っています。

幼稚部での日々を過ごすうちにA君の緊張に満ちた挑戦的な眼差しが次第に柔らかくなり、本来の子どもらしい表情へと変わっていきました。愛育に通い始めて間もない頃、家に帰って「ママ、愛育の先生は優しいね。」といってくれたそうです。日常のなにげない場面でA君が信頼しきった眼差しで私たち保育者を見上げ、話しかけてくるその表情のひとこまひとこまがとても愛しく感じられました。粘土や工作など物作りにも集中して取り組むようになり、自分の力に見合った作品を作り上げて満足できるようになりました。年長児の2学期からは幼稚園にも通うようになり、友達と遊ぶことを何よりも期待するようになりました。4月からは学区域の公立小学校に進学し、週1回通級を利用します。一年生になったら友達をたくさん作るんだと胸を膨らませています。この愛育だよりが発行される頃には、1学期を過ごした二人の様子が聞けることでしょう。今からとても楽しみにしています。

おわりに
新しい一年も“自分が自分でいられる”“安心して自分を表現できる”場でであり続けることを目指して、子どもたちとの日々を大切に営んでいきたいと思います。                                                                                    (2008年7月)