8月 052016
 

 

「あいいく作品展」を訪れたときのこと         粟生田 明子

作品展最終日の夕方、薄暗くなった坂道を迷いながら会場に辿り着いた。あたりに人気もないし、本当にこの道でいいのかなあ…と心細くなっていたので、ほんのり柔らかな光が会場の扉から漏れ、看板も見えたときはホッとして、嬉しかった。そして奥まった小さなドアを開けると、ぱあっ!と、明るく、色彩溢れる空間が目の前に拡がった。冬の都会の暗い森の中で、なにか動物の巣穴にでももぐりこんだ気分。ふっと身体が緩み、息が楽になる。この、来るものを拒まないほがらかな雰囲気、予想外の空間の拡がり、どこかで味わったことが・・・と思った瞬間、「ああ、愛育学園と同じだ」と気付いた。愛育学園も、有栖川公園沿いの坂道を上り、建物の隙間の細いアプローチを抜けると、そこにぽっかり穴が開いたように、周囲から守られたサンクチュアリのように存在している。この作品展は「日常の中から生まれてくるもの」と題されているが、どうやら学園の日常の空気もまるごとそのまま運んできているらしい。

入り口近くの壁に、学園のこどもたちの写真が並んでいる。学園を見学させて頂いた時に出会った顔も多く、心の中で「や、こんにちは!また会えたね」と挨拶して思わず笑顔になる。そしてたちまち、その先に展示してある作品群に「おいでおいで」と引っ張られる。ソメイヨシノの枝を随所に飾り、平面作品と立体作品をリズミカルに配置した会場設営もすばらしい。枝は植木屋さんが分けてくださったものだそうだが、まるで木々に囲まれた愛育の庭にいるような気分。会場の中に、庭と同じ風がやさしく吹き抜けていくかのようだ。そこに展示されている作品は、作品のみが切り離され無機的に置いてあるのではなく、それを生みだしたアーティストの息づかいや、鼓動や、鼻歌や、気分や、汗や泥のにおいや、やわらかい皮ふの感触や、そういったものすべてを一緒に連れて、そこに「居る」。以前、学園の校舎を見学した時、誰も居ない廊下や教室にも「みんな、ここに居るよ!」というざわざわとした気配を感じたものだが、作品展も同様で、そこにこどもたちが居るわけではないけれど、たしかな気配がある。

どの作品からも生き生きしたリズムを感じるし、みるみる色と形のダンスが始まり、様々な音楽が聞こえてくる。「ピアノ」という作品からは本当にピアノ曲が聞こえてくるし、ぶつぶつ独り言の聞こえるような作品もある。校舎でもおなじみのダイナミックなドローイングは今にも足元から飛び立ちそうだし、超絶難解迷路はぐるぐると渦を巻く。「こうしよう」という意図や「こうしなさい」という規制からは全く自由な、生きる力がそのまま放出し、更に画面の外へはみ出そうとしている作品群。それらを見て、聞いて、感じていると、お腹の底の方から自分自身の「こども」も解放されてくるようだ。なんだか元気が湧いてきて、思わず顔が綻んでしまう。

かなりの時間、ふらふらと楽しく作品の中をさまよい、最後にこどもたちの写真をもう一回見て、「ありがとう、またね!」と再び心の中で挨拶して会場を後にした。少し歩いて振り返ったら、もう辺りはすっかり暗くなっていて、会場の光がいっそうあたたかく見えた。耳には、まだ音楽が聞こえていて、ちょっとスキップしてみた。